木村達央(Tatsuo Kimura)
初期キャリア
1948年生まれ。
東京都出身。
1971年に学習院大学を卒業したのち、
大手商社の三菱商事にてビジネスマンとしてのキャリアをスタートさせる。
5年後の1976年、木村氏の父親が設立した
デリカ社(のちのジャパンイマジネーション)に移籍し、
1983年からは営業部長ととして活躍。
1987年には社内で「セシルマクビー」というレディースブランドを開発した。
1990年代後半にセシルの人気が爆発
専務を経て1990年には社長に就任。
安室奈美恵などの影響で1990年だ半ばに渋谷にてギャルブームが到来。
大人ギャルのほかコギャル・孫ギャルが渋谷に増殖する。
そんな中、セクシーカジュアル路線の「セシルマクビー」は
時代の追い風を見かけにつけて売り上げが急上昇。
2000年には渋谷109の館内売上ナンバー1ブランドにまで成長。
2000年代半ばにおいても赤文字系の「ViVi」や
多数のギャル系雑誌が人気を博す中でセシルマクビーの人気・知名度はさらに上昇した。
そして、その超人気ブランドの生みの親/育ての親として
木村氏も様々なメディアから取材を受ける話題の人物となった。
メディアの取材を受ける中で、若い女性を心から信頼し、
若い女性に大きな仕事を任せていく姿勢に視聴者から高い高感度を獲得する。
なお、デリカ社は2006年にジャパンイマジネーションへと社名を変更。
社名変更後も社長職に留まる。
2010年代以降
2010年に木村氏はジャパンイマジネーションにおいて社長から会長となる。
それからも会社の実質的なトップとして基幹ブランド・セシルマクビーや
その他の新規開発ブランドの成功に大きく貢献。
2000年代は200億円前後だった年商を2010年代前半には250億円前後にまで伸ばした。
しかし、2010年代に入ってギャル文化が急速に衰退していく中、
セシルマクビーは方向性を失い、2010年代半ばには15年近くキープしてきた
渋谷109売上1位ブランドの座から陥落。
そして会社の年商も右肩下がりの状態に。
そんな中、木村氏は2016年春に「会長」から「会長兼社長」というポジションに移行。
社長に戻って会社の再建に奔走。
しかし、ギャル文化衰退はますます進む。
2020年には新型コロナ問題による移動制限という問題にとどめをさされ、
2020年夏にはセシルマクビーの全店舗閉鎖を決める。
また600人近い社長の大半を解雇せざるを得なくなった。
その後、2021年ジャパンイマジネーションは
株式会社エスダーヴとして再スタートを切ったが、
同社公式サイトが見つからないため、木村氏がどうかかわっているのかは不明。
なお、会社再編に伴い、
Ank Rougeなどのブランドは継続と新会社にて事業継続となったが、
看板だったセシルマクビーについては
マスターライセンス契約を結ぶBLIST株式会社のもとに渡り、
BLIST社の公式通販サイトでの無店舗販売が行われている。
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