ジル・サンダー(JIL SANDER)
生年月日=
1943年生まれ
国籍/出身=
ドイツ
本名/フルネーム=
Heidemarie Jiline Sander(ジリーン・サンダー)
*サンダーは「雷」を意味する英単語とは無関係
ジル・サンダー氏の顔写真(アニエス・ベー氏と似た雰囲気)
生い立ちからパリコレデザイナー時代まで
1943年にドイツ・北部のハンブルクにて誕生。
厳格な父のもとで厳しく育てられる。
若い頃はドイツを離れてアメリカに渡り、
西海岸カリフォルニア州のロサンゼルス大学に2年間通ったのち、NYにも滞
20代前半の頃はドイツのファッション誌の編集者として活動していた。
その頃、撮影に関する事で様々なアパレルメーカーと連絡を取り合う
生活を続けてきたが、思い通りにいかない事が度々発生。
そんな中、メーカー側に雑誌の撮影に使う服に関して
様々なデザイン提案をする中で
"あなた自身にデザインをしてほしい"
というリクエストが届くようになり、
ファッションデザイナーとしてのキャリアをスタート。
それがきっかけとなり、20代半ばの頃(1968年)にブティックを開店。
1973年からはオリジナルコレクションを発表しはじめ、
ドイツの隣国であるフランスで年2回開催される
パリコレクションでのコレクション発表をスタート。
1978年にはジル・サンダーという会社も設立する。
ミラノコレクションで花開く
1970年代半ばからパリコレ参加を続けてきたジル氏であったが、
装飾性の低いミニマリズム系(シンプル系)の作風である
彼女の作品はなかなか評価されず、苦悩の時期を過ごした。
そんな中、1980年代に入るとぱりこれからは撤退して
イタリアのミラノで開催されるミラノコレクションへと発表の場を移転。
すると、ミラノコレクションにおいては
彼女の作風が見事に受け入れられて、
1990年代に入るとミラノコレクションの看板ブランドの一つとして
扱われるほどの存在となった。
それと同時にミニマリズム系デザイナーの代表格として扱われるようになる。
1995年にはドイツにおいて権威ある「Bundesverdienstkreuz」という賞を受賞するまでに。
2000年前後にJIL SANDERから2回離脱
世界的なブランドへと成長したJIL SANDERであったが、
1999年にプラダグループに買収され、同グループの傘下ブランドに。
巨大グループの傘下に入った事で資金面では有利な状態になったが、
モノづくりへのこだわりがPRADAグループ首脳陣との軋轢へと発展。
それにより、ほどなくして自身が創業したJIL SANDERブランドから離脱。
その後、JILSANDERブランドは
Milan Vukmirovicというデザイナーや社内デザインチームによって
デザインされてきたが、2003年にJIL SANDERブランドに復帰。
今度はPRADAグループとうまく折り合いを付けながら
うまくやっていくのかと思われたが、
またも親会社との軋轢が発生して2005年頃に再びブランドから離脱。
それにより、jIL SANDERブランドは同じく世界的なミニマリズム系デザイナーであるラフ・シモンズ氏の手に託される。
第一期「+J」デザイナー時代
2000年代後半はフリーの身として過ごしていたが、
ジル氏同様に老若男女から受け入れられるシンプルな作品作りを得意としてきた日本の柳井正(ファーストリテイリング)からコラボのオファーを受ける。
日本文化を深く愛する他、ミニマリストと称される柳井氏とも創作に関する考え方が一致するジル氏は、このオファーを快諾。
そして、2009年からユニクロ×ジルサンダーの
「+J」
というコラボレーションラインが創設され、
このブランドのデザイナーとして精力的に活動。
2010年4月には、第53回FEC賞において
日本国内で最も活躍したデザイナーに贈られる
「デザイナー賞」
受賞し、佐々木希などと共に授賞式に出席した。
ユニクロの通常商品より高額ながら、
彼女が創設したJIL SANDERブランドの価格よりははるかに安い
「+J」の商品は日本、そして世界中にて大ヒットし、彼女の評価は再び急上昇。
しかし、ファーストリテイリングとも
モノづくりに対する考え方の相違が生まれ始め、
残念ながら2011年にわずか2年で+Jのデザイナーからは退任。
コラボライン事態も自動的に消滅。
再びJIL SANDERブランドに帰還
ファーストリテイリングとの関係が終わったのち、
その動向には大きな注目が集まったが、
2005年から7年間に渡ってJIL SANDERのデザイナーとして活躍した
ラフ・シモンズがブランドを去ると、
2003年に続いて自身が創設したブランドに再び復帰。
そして、ミラノコレクションにデザイナーとして復帰したが、
長くは続く事なく、またもや約1年半の活動を経てJIL SANDERブランドから離脱。
第2期「+J」デザイナー時代
2010年代半ばから再びフリーの状態になったジル氏。
インタビュー記事などによると、
2010年代後半は積極的に仕事をすることなく、スローな生活をエンジョイしていた事が判明している。
また、休暇中に地球環境に優しいサステナブルな創作活動に対する意欲が高まっていった。
その他、2018年にはハンブルクにて個展を開催して話題に。
そんな充電期間を経たのち、
世界中において「+J」に対する再開・復刻の要望が高まる中、
ファーストリテイリングから再びやオファーが続き、
2020年に再び、ファーストリテイリングとの契約を締結。
2020年秋から、再び「+J」のデザイナーとして活動をスタート。
ジルサンダー氏の世界的評価
- 世界最高峰のミニマリズム系デザイナー
- カール・ラガーフェルドと並ぶドイツ史上最高のファッションデザイナー
- 誠実でモノづくりに対するこだわりが強い(それが衝突の要因になることもあり)
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